ガラパゴスと呼んでしまうと元々の島の方々に申し訳ない気もしますが、日本の過去の栄光は続々とガラパゴス化しているような傾向があります。
そんな中、カメラはまだまだ日本が最先端を行っている感じですが、私はすでにガラパゴス化が進行してきつつあるのではないかと危惧しています。
真っ先に浮かぶのは「銀塩こそ、ガラパゴスとなっているのではないか?」という点ですが、私が危惧しているのは実はこちらではありません。
フィルムカメラはいわゆる「最先端」の技術ではないゆえに、枯れた技術がしっかりとした根を下ろした、もはや普遍的なシステムとなっていると考えるからです。
今でも電気などのインフラが整っていない場所、極寒の地などでは昔ながらのメカニカルなカメラが役立つ場面はまだまだあるでしょう。
寒いところに強いという点では、ガラパゴスというよりも北極圏化しているのかもしれません。(売れ行き的な意味でも。)
それはさておき、私がガラパゴス化を危惧しているのは、まさに今が旬を謳歌している感のあるデジタルカメラのほうです。
前回も書いたとおり、デジタル時代に入って、ライカなど一部のブランドメーカーと新興メーカーを除いては、日本勢が完全に席巻している状態となっています。
それが良い意味での日本らしい緻密な製品を生み出した結果ではあるのですが、副作用として、特有の「ガラパゴス化」の伏線が生じ始めているように感じています。
私がガラパゴス化の要因なのではないか、と感じているのはカメラに限らず、以下の3つのポイントです。
・囲い込み
・差別化
・付加価値
どれもメーカーさんとしては良かれとして取り組んでいることなのでしょうが、これがまさに閉鎖的な環境を生み出しているのではないでしょうか。
一例を挙げるとすれば、メモリカード規格や独自形式のRAWなどによる「囲い込み」や、レンズマウントやバッテリ形状の乱発による「差別化」、どこが変わったのかわからないような新機能追加で新製品を次々と出す「付加価値」といった具合です。
ハードウェアの進化が著しい時期はそれも買い替えの動機として良い方向につながっているのですが、安定期に入ってくると、無理な囲い込み、差別化、付加価値となっていき、ガラパゴス化していくのではないかと思います。
そして、そのガラパゴス化の兆候として私が懸念しているのは、ソフトウェアの弱さです。
これはなにもカメラだけに限ったことではないのですが、ハードウェアというハコモノに頼りすぎてしまうからなのか、ソフトウェアが非常に平凡で閉塞感のあるものが多すぎると感じています。
RAW現像ソフトといった添付ソフトもしかりですが、多機能化が進むカメラにおいて、まだOSと呼べるものがないというのが一番気になります。
そもそも、OS自体、国産といえるものがほとんどない状態ですし…。
GPSやネットワーク機能、画像/動画編集など、今後、カメラはさらに多機能化していくはずですが、その上でおそらくOSは必須となってくるでしょう。
そうなってくるとAndroidが採用される可能性が大ですが、現在の日本のメーカーの姿勢を見ている限り、ソフトウェアで追加可能な機能追加であっても、従来通り、ニューモデル購入で、というような事態が出てくるのではないかと。
ハードウェアの進化が鈍化してカメラ本来の「写真を撮る」という基本部分がどこでも実現容易になってくれば、ソフトウェアに強い海外勢が参入してくることも考えられ、そこでまさにガラパゴス化が始まってしまうかもしれません。
すでにiPhone 4が多数のカメラアプリの登場で「カメラ」として注目されたことは、もうすでに確立された事実となってきています。
ガラパゴス化が一方的に悪いこととは思いませんが、本来、日本が得意とした製品づくりにも良い意味でのこだわりと革新を織り込んでいってほしいと思います。
そんな中、カメラはまだまだ日本が最先端を行っている感じですが、私はすでにガラパゴス化が進行してきつつあるのではないかと危惧しています。
真っ先に浮かぶのは「銀塩こそ、ガラパゴスとなっているのではないか?」という点ですが、私が危惧しているのは実はこちらではありません。
フィルムカメラはいわゆる「最先端」の技術ではないゆえに、枯れた技術がしっかりとした根を下ろした、もはや普遍的なシステムとなっていると考えるからです。
今でも電気などのインフラが整っていない場所、極寒の地などでは昔ながらのメカニカルなカメラが役立つ場面はまだまだあるでしょう。
寒いところに強いという点では、ガラパゴスというよりも北極圏化しているのかもしれません。(売れ行き的な意味でも。)
それはさておき、私がガラパゴス化を危惧しているのは、まさに今が旬を謳歌している感のあるデジタルカメラのほうです。
前回も書いたとおり、デジタル時代に入って、ライカなど一部のブランドメーカーと新興メーカーを除いては、日本勢が完全に席巻している状態となっています。
それが良い意味での日本らしい緻密な製品を生み出した結果ではあるのですが、副作用として、特有の「ガラパゴス化」の伏線が生じ始めているように感じています。
私がガラパゴス化の要因なのではないか、と感じているのはカメラに限らず、以下の3つのポイントです。
・囲い込み
・差別化
・付加価値
どれもメーカーさんとしては良かれとして取り組んでいることなのでしょうが、これがまさに閉鎖的な環境を生み出しているのではないでしょうか。
一例を挙げるとすれば、メモリカード規格や独自形式のRAWなどによる「囲い込み」や、レンズマウントやバッテリ形状の乱発による「差別化」、どこが変わったのかわからないような新機能追加で新製品を次々と出す「付加価値」といった具合です。
ハードウェアの進化が著しい時期はそれも買い替えの動機として良い方向につながっているのですが、安定期に入ってくると、無理な囲い込み、差別化、付加価値となっていき、ガラパゴス化していくのではないかと思います。
そして、そのガラパゴス化の兆候として私が懸念しているのは、ソフトウェアの弱さです。
これはなにもカメラだけに限ったことではないのですが、ハードウェアというハコモノに頼りすぎてしまうからなのか、ソフトウェアが非常に平凡で閉塞感のあるものが多すぎると感じています。
RAW現像ソフトといった添付ソフトもしかりですが、多機能化が進むカメラにおいて、まだOSと呼べるものがないというのが一番気になります。
そもそも、OS自体、国産といえるものがほとんどない状態ですし…。
GPSやネットワーク機能、画像/動画編集など、今後、カメラはさらに多機能化していくはずですが、その上でおそらくOSは必須となってくるでしょう。
そうなってくるとAndroidが採用される可能性が大ですが、現在の日本のメーカーの姿勢を見ている限り、ソフトウェアで追加可能な機能追加であっても、従来通り、ニューモデル購入で、というような事態が出てくるのではないかと。
ハードウェアの進化が鈍化してカメラ本来の「写真を撮る」という基本部分がどこでも実現容易になってくれば、ソフトウェアに強い海外勢が参入してくることも考えられ、そこでまさにガラパゴス化が始まってしまうかもしれません。
すでにiPhone 4が多数のカメラアプリの登場で「カメラ」として注目されたことは、もうすでに確立された事実となってきています。
ガラパゴス化が一方的に悪いこととは思いませんが、本来、日本が得意とした製品づくりにも良い意味でのこだわりと革新を織り込んでいってほしいと思います。
メインの一眼もデジにしてしまってから、5年くらい。
フィルム時代からの非互換というと、レンズマウントとオートストロボの接点。
今でも条件によってはマニュアルで撮ることもたびたびです。最近のオートの使い方が分からなくて。
このたびE-PL1を使ってみたら、いろいろとメニュー操作をしないと、考えた操作に至らないのに閉口しました。
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投稿情報: ルート134 | 2011/03/05 21:02
ルート134さん、コメントありがとうございます。
オートストロボの非互換もかなりあからさまな「差別化」という印象ですよね。
メーカーとしては新機能を盛り込みたくて変更するのでしょうが、それなら最初からそれを見越した規格にしておくか、下位互換を持たせてくれても良いのに…と感じてしまいます。
最近はカメラが電子機器化されすぎて、本来の「写真を撮る」道具としての部分を見失っているものも多い気がします。
そういう時こそ、たまに銀塩に戻って昔ながらの道具の味わいを再確認してみるのも良いかもしれませんね。
投稿情報: MacBS | 2011/03/05 23:59
オリジナリティと普遍化の問題は、本来、二者択一ではないはずなのですが。つまりオリジナルを追求していくとその先は普遍性にいきつくという。ちょっと観念論ですかね?
それはさておき、今この時代はオープン化の流れが強いのは確か。戦略的にもそっちが有効だと思う。
けど、オープン化というのはそんなにフェアな話でもなくて、単なるシェア争いの話だったりもする。
勝てば官軍というのは、昔っから変らない真実かも。
お仕着せってのもなんだかイヤだしね。
投稿情報: 鍛冶哲也 | 2011/03/06 05:22
鍛冶哲也さん、コメントありがとうございます。
機械的な要素から電気、電子的な要素が増えることで道具としての基本的な部分を置いてけぼりにすることが増えたのかもしれません。
ともかく使いにくかったら進化もなにもないですし、今後また書きたいと思っていますが、保存性も重視してほしいところです。
投稿情報: MacBS | 2011/03/13 17:57