趣味というのはどれも似たようなものですが、ついつい収集癖を発症してしまいがちです。
車にせよ、オーディオにしろ、複数台を使い分けることがありますが、カメラというのはケタ違いの台数を所有することがどうも多いようです。
他人を例に挙げるまでもなく、私もまさにその状態でして、カメラは300台を優に超え、レンズもおそらく同じくらいの本数を所有している状態です。
毎日1台ずつ使っても、一年かかって使い切れないというのは自分ながら、ちょっと度を超えてるなぁとは思うんですけどね。
二台目のカメラを買うときというのは大抵、それなりの理由が付くものです。
銀塩の時代なら、カラーフィルムとモノクロを使い分けたい、だとか、今だと一眼レフに加えて普段用のコンパクトが欲しいといった具合です。
確かに一台で万能なカメラというのはなかなかないですから、これはそこそこ「正統」な理由といえるでしょう。
これが三台目になると、かなり言い訳が苦しくなってきます。
使いたいレンズがマウント違いで使えない、くらいはまだかわいいほうで、「今買っておかないと二度と手に入らないレアモノ」みたいな、傍から見たら何が理由だか良くわからないような理由になってきます。
そこまでいけば立派(?)なもので、あとはもう理由など必要なくなってしまうわけですが。
ただ、これを収集癖だけで片付けてしまうとちょっと違う一面もあるように感じています。
ただの収集癖なら、カメラ以外の趣味でもそういう大量収集が頻繁に見受けられるはずですし、むしろ写真を撮ることに注力されていらっしゃる方でも複数台を所有されている方が多い理由にはならないですからね。
そこで私が立てた仮説は以下の2つです。
・経済効果説
・芸術追求説
まぁ大げさにでっち上げてますが、これもまた理由をでっち上げてるだけなのかもしれませんので、収集家の戯言としてお読みください。
まず、「経済効果説」ですが、要するにカメラは安いということです。
もちろん、生活必需品に比べれば決して安いとは言えない面もあるのですが、それでも一部の趣味の品に比べれば、一つ一つはお小遣いでなんとかなる価格帯のものも多いといえるのではないでしょうか。
また、手放す際も値崩れが少なく、まずは試してみてダメなら手放すという場合のロスも少なめという安心感もあるのかも。
中古市場もしっかり確立されていますから、それを楽しむなら尚さら、この効果が大きくなってきますし。
とはいえ、トータルで考えれば結局、かなりの出費というのはお店やメーカーの思うつぼでして、それも含めての「経済効果」といえるのかもしれません。
そして、もうひとつの「芸術追求説」。
これはもう素晴らしい写真を撮りたいという、飽くなき芸術追求の賜物、ということにしておきましょう。
あのカメラ、あの素晴らしいレンズを使えば、きっと今より数段すごい写真が撮れるに違いないという勘違い、いやいや、探究心が生み出す魔法にかかってしまうのが、写真というものなのかも。
絵画とは違い、自らの腕で描くわけではないですから、どうしても情景やカメラ、光学性能に依存してしまう部分もあって、ついつい機材に求めてしまう部分があるんですよね。
無論、実際にはカメラが写真を撮ってくれるわけではなく、写真を撮る本人の鍛錬のほうが重要なわけなんですが。
しかし一方、自らの腕が上がったのでは?と勘違いするような素晴らしい機材との出会いというのもしばしばあるというのもまた事実なのであります。
その味を知ってしまうと、ついつい今日もまた「芸術を追求」してしまうのでありましょう。
車にせよ、オーディオにしろ、複数台を使い分けることがありますが、カメラというのはケタ違いの台数を所有することがどうも多いようです。
他人を例に挙げるまでもなく、私もまさにその状態でして、カメラは300台を優に超え、レンズもおそらく同じくらいの本数を所有している状態です。
毎日1台ずつ使っても、一年かかって使い切れないというのは自分ながら、ちょっと度を超えてるなぁとは思うんですけどね。
二台目のカメラを買うときというのは大抵、それなりの理由が付くものです。
銀塩の時代なら、カラーフィルムとモノクロを使い分けたい、だとか、今だと一眼レフに加えて普段用のコンパクトが欲しいといった具合です。
確かに一台で万能なカメラというのはなかなかないですから、これはそこそこ「正統」な理由といえるでしょう。
これが三台目になると、かなり言い訳が苦しくなってきます。
使いたいレンズがマウント違いで使えない、くらいはまだかわいいほうで、「今買っておかないと二度と手に入らないレアモノ」みたいな、傍から見たら何が理由だか良くわからないような理由になってきます。
そこまでいけば立派(?)なもので、あとはもう理由など必要なくなってしまうわけですが。
ただ、これを収集癖だけで片付けてしまうとちょっと違う一面もあるように感じています。
ただの収集癖なら、カメラ以外の趣味でもそういう大量収集が頻繁に見受けられるはずですし、むしろ写真を撮ることに注力されていらっしゃる方でも複数台を所有されている方が多い理由にはならないですからね。
そこで私が立てた仮説は以下の2つです。
・経済効果説
・芸術追求説
まぁ大げさにでっち上げてますが、これもまた理由をでっち上げてるだけなのかもしれませんので、収集家の戯言としてお読みください。
まず、「経済効果説」ですが、要するにカメラは安いということです。
もちろん、生活必需品に比べれば決して安いとは言えない面もあるのですが、それでも一部の趣味の品に比べれば、一つ一つはお小遣いでなんとかなる価格帯のものも多いといえるのではないでしょうか。
また、手放す際も値崩れが少なく、まずは試してみてダメなら手放すという場合のロスも少なめという安心感もあるのかも。
中古市場もしっかり確立されていますから、それを楽しむなら尚さら、この効果が大きくなってきますし。
とはいえ、トータルで考えれば結局、かなりの出費というのはお店やメーカーの思うつぼでして、それも含めての「経済効果」といえるのかもしれません。
そして、もうひとつの「芸術追求説」。
これはもう素晴らしい写真を撮りたいという、飽くなき芸術追求の賜物、ということにしておきましょう。
あのカメラ、あの素晴らしいレンズを使えば、きっと今より数段すごい写真が撮れるに違いないという勘違い、いやいや、探究心が生み出す魔法にかかってしまうのが、写真というものなのかも。
絵画とは違い、自らの腕で描くわけではないですから、どうしても情景やカメラ、光学性能に依存してしまう部分もあって、ついつい機材に求めてしまう部分があるんですよね。
無論、実際にはカメラが写真を撮ってくれるわけではなく、写真を撮る本人の鍛錬のほうが重要なわけなんですが。
しかし一方、自らの腕が上がったのでは?と勘違いするような素晴らしい機材との出会いというのもしばしばあるというのもまた事実なのであります。
その味を知ってしまうと、ついつい今日もまた「芸術を追求」してしまうのでありましょう。
おいらの場合は、どちらかというと「経済効果説」の方かと思います。
安いから買えるが前提です。
心の内では、もうちょっと出してもいいかと
葛藤もありますが、今のカメラにない形がデザインにも心引かれます。
気持ちは、収集癖のあるMac BSさんと同じかな。
投稿情報: とめ | 2011/06/07 09:16
とめさん、コメントありがとうございます。
他の趣味も必要以上に収集されるケースは多いですが、カメラは特に集まりやすいようです。
カメラどうしも呼び寄せ合ってるのかもしれませんね。
投稿情報: MacBS | 2011/06/24 23:20